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文房清玩

「文房清玩」とは、中国の漢の時代から六朝、唐の時代にかけて発展し、宋の時代になって、その骨格が築かれた中国文人たちの文房での趣味のことだそうです。
 この文房趣味の代表格は、筆、墨、硯、紙などで、これらの4点は文房四宝とか文房四友などと称され、ただ単に文房具としての価値を超えて、鑑賞、蒐集、さらには愛玩、収蔵などの対象物となり、生産地や工人がブランド化され、その優劣が盛んに論じられたそうです。
 文人達は、春の艶めく夕暮れに、貴族の「雅」と庶民の「野」を併せ持つ文房で硯の細工を撫で摩り、墨の香りと色に心を砕き、その紙に載せるべき想いの行き着く先を心に描いたに違いありません。
 毎日の暮らしを雑に送っている私などに文房での「清玩」などの趣は爪の垢ほどもありませんが、それでも、忘れられない想い出を宿した品物の一つや二つはありました。
 先日我が文房のカーテン・ボックスの上にあげられて、埃まみれになっていた備前焼の花瓶を他のものの始末の都合上取り出し、埃を払って書棚の上においてみました。
 この「備前」は、確か今から30数年前、仕事で広島市を訪れた帰り道、備前焼の窯元が集中する岡山県伊部まで足を伸ばした際に買い求めたものでした。
 頃は11月の中旬で、すでに観光はオフシーズン、窯元街は人っ子一人なく、奥は大きな建物でも玄関は間口1間ほどの広さに引き戸があり、戸が閉まったままの建物がほとんどでした。
 玄関を入ったところに飾り棚があり、そこにその窯元の作品が展示されており、希望があれば販売もするという具合でした。
 ところが、玄関は一応店も兼ねているとは言い、人がいるわけでなし、戸が開いているわけでもありません。
 そして、何よりも奥に声をかけて人を呼んでも、展示されている品物を買うわけではないのです。
 今はどうか知りませんが、当時の記憶では、高さが25cmにも足らない花瓶でも、窯元の名前とそれを作った職人銘が入った作品となると10万近い値がついていたように思います。
 興味本位で訪れた貧乏旅行者にそんな大金が出せるわけもなし、見て歩くのが精いっぱいと言うところでした。
 何軒目かの店先に、ちょうど人がいて「高くてとても手が出ませんが、見るだけでも、見せていただけますか?」と聞いたところ、快く招き入れてくれて、窯場まで見せてくれました。
 そして、事もあろうに、工場の広い壁一面に設けられた棚に無数に積み上げられた製品を指して「あの中に気に入ったものがあれば、格安で分けてあげましょう」と言うことになりました。
 この製品群は、窯焼きの際に隣の製品と触れて傷が出来たもの、焼きによって変形したものなど、いわば「傷物」が一箇所に集められたものでした。
 勧められるままに上着を脱ぎ捨て、汗と埃にまみれて製品の山を掻き分け掻き分けて、3点ほど買い求めました。
 花瓶はその花の挿し口に小さな傷が二つあり「修理用のパテで補修すれば、傷は全く分からなくなります」という店の人のアドバイスでしたが、今以て補修はしていません。
 めったなことでは使用しない花瓶ですが、素朴で丈夫なこの器は、自己主張がない代わり、どこに置いてもおさまりが良くて好きな道具の一つです。
 本来は欠陥であるべきはずの傷が、私にとってはある種の物語の証明のようで、なお、この花瓶に対する愛着を深めているようなところがあります。
 こうしたものも「愛玩」の一種なのでしょうか?

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by ebataonnzi | 2010-04-19 13:29