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新年おめでとうございます。
新年明けましておめでとうございます。
本年も何卒よろしくお願いを申しあげます。

子ども達が結婚して家を出て行き、老夫婦で迎える正月も今年で5年目になりました。
例年のことですが、正月だからといって特別なお客様があるわけでもなく、元日は午後から二組の息子夫婦、それに4歳の孫娘、計5人が合流して、我が家の手料理とそれぞれの嫁さんが持参した手料理をテーブルに並べて、ささやかに新年を祝います。
 先日懇意にしているYさんにメールを差し上げた際に文章の末筆に洒落のつもりで「めでたさも 中位なり おらが春」と打ち込んだ後で、さて、この句の作者は誰だっただろうと考えて、一茶か?良寛か?そんなことを付け足しました。
早速、メールを受け取ったYさんから返信があって、作者は「一茶です」というお達しがありました。
短いメールで、暗に「あなた、こんな有名な句の作者も知らなかったのですか!」という蔑みが背後に隠されているようで、洒落者とは縁遠い人間が洒落たりするものではないと、新年早々肝に銘じたものでした。
横道にそれましたが、この「めでたさも 中位なり おらが春」の解釈をめぐって諸説のあることを知りました。
即ち、この作中の「中位なり」は現在の自分が置かれている位置を言っているのではなくて、迎えた春(この場合は正月)のめでたさが、せめて中位のものでありたいとする願望であると言うのです。
そして、この「説」は、作者一茶が置かれた境遇から考えて、有力な説なのだそうです。
一茶の生涯は誠に不遇なもので、3歳で母親と死別、15歳で奉公に出され、39歳で父親を失い、結婚後は4人の子どもと妻さえも病で失うなど「良くもこれ程」と思わずにはいられないような悲哀に満ちた生涯でした。
二人の子ども夫婦に孫一人、贅沢を言わなければ、これこそ「めでたさも中位なり…」かと思っておりましたが、作者一茶の素直で優しい句作の背後に潜む不遇な人生から学んだ冷徹な眼に少し背筋を冷やします。
初詣に70万人も訪れると言う北海道神宮、そして我が町内会の烈々布神社に詣でる氏子達、私が当初思っていたような「中位」の春は、そればかりではなく、一茶が願った「中位」の春もあったはずで、そのことを忘れてはならないと思ったりします。
人々の「祈り」「願い」に思いを致すのも正月と言う伝統行事の「力」と言うものなのでしょう。

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# by ebataonnzi | 2010-01-08 01:23