骨董レンズと遊ぶ
 先日、愛用しているカメラのレンズが不具合になって、ネットで修理屋さんを探し、修理を依頼しました。
 この修理屋さんは、カメラの修理が専門らしいのですが、古いフィルム用カメラの高級機から旅行の際にバックのポケットに何気なく押し込んで持って行くメモ代わりのカメラまで、ショウケースとは言えないような壁一面の棚に積み上げて、このカメラを販売もしているようでした。
 用件が済んで、この棚を懐かしさと物珍しさで、しばし眺めさせていただいたのですが、その中に私が使用しているペンタックス製カメラ用の古い交換レンズを見つけました。
 かねてから、明るい単焦点レンズが欲しいと思いながら、その値段の高さに手を出しかねていたのですが、この古いレンズは、F値が1.8で、明るさに申し分はなく、値段も3,700円と言うオモチャ並みの値段です。
 ただ一つ、このレンズを私が使用しているカメラに取り付けるには、スクリューウマウント用のアダプターが必要ですが、一般的には店頭販売は少なく、入手するには取り寄せが必要と言う話を聞いたことがありました。
 ところが、この店にはこれも中古で在庫があると言うのです。大いに心が動きました。
 でも、この日は逸る心を抑えて帰りました。
 あくる日、依頼したレンズの修理が出来上がる日ではありませんでしたが、外出の帰り道に再び件の修理屋さんに立ち寄り、目星をつけたレンズとマウントアダプターを購入しました。
 手に入れたレンズは、旧旭光学社(現 ホーヤ・ペンタックス)が1960年に製造したsuper-takumar 55㎜ F1.8 と言うレンズです。
 1960年と言えば、私たちの年齢なら誰一人知らない者がいないほど激しい闘いだった日米安保反対闘争があり、片や経済面では、日本の高度経済成長が、いよいよその頂点に達しようとしていた時代です。
 高級カメラと言えばレンジファインダーの時代に一眼レフ方式のカメラを作ったのは、日本では旭光学が「最初」で、アサヒフレックスの名称で売り出されたのは昭和27年(1952年)だそうで、その後、ニコン、キャノン、トップコンなどが一眼レフを売り出すのは昭和34年(1959年)のことです。
 当時の私は、夜間高校卒業後間もない、製造工場現場事務所の職員で、月給は7千円か8千円くらいだったと思います。
 その当時のニコンFやキャノンフレックスの値段はいくらしたものでしょうか?
 ニコンもキャノンも、そのターゲットはライカだったと言われていますから、おそらく当時の値段は現在の高卒初任給の4倍や5倍はしたものかもしれません。
 そんなカメラの今昔を考え合わせますと、1960年製のsuper-takumar F1.8も高級レンズであり、高卒ホヤホヤに手の出る代物ではなかったことがうかがわれます。
 改めて、1960年と言う歳月を考えます。今からちょうど50年前に製造されたレンズが、操作の総てをマニュアルに頼るとしても、立派に役目を果たしていることに、やっぱり一種の感動を覚えます。
 天気の良い日にこのレンズを愛用のPENTAX K10Dに取り付けて、一時少年の心にかえって写真を楽しみます。

<画像をクリックすると大きくして見ることができます。>
a0147975_222719.jpg

札幌市東区にあるモエレ公園の築山です。
この公園は彫刻家イサム野口のデザインによる公園で、この公園に来るたびに築山の石段に目を惹かれます。
SUPER-TAKUMARの解像度は如何なるものか?の実験画像です。
a0147975_225598.jpg

これもSUPER-TAKUMARの実験画像です。札幌丘珠空港を北東の位置から撮影しました。
飛行場周辺は高い建物もなければ、邪魔な電線などもありません。
その意味では、格好の撮影ポイントです。ここを最近発見しました。
a0147975_22758100.jpg

9月初め、所属クラブの仲間と1泊で渡島管内大沼公園を撮影に行ってきました。
初日のスタートは、SUPER-TAKUMARで行こうと決めて、撮影ポイントに向いました。
何せ、このレンズ、総ての操作がマニュアルですから、明るいうちは良かったのですが、薄暗くなるとピント合わせに苦労を致しました。
このレンズの特徴は、遠い部分の描写に良い面がありそうでした。
[PR]
# by ebataonnzi | 2010-09-22 22:08
再発見! イトトンボの美しさ
 
 素人の浅知恵ですが、初夏から真夏にかけて、トンボ類で一番早く姿を見せるのがイトトンボであるような気がします。
 イトトンボは、他のトンボ類と比べると体が細い上に小柄で、動きもそれ程俊敏ではなく、何かフワリ、フワリと漂っているような感じで飛びます。
 細くて、小さくて、儚い飛び方から来るイメージなのでしょうか?私たちが子どものころは、このトンボのことを「あねさんトンボ」とか「神様トンボ」とか呼んで、他のシオカラトンボとかクルマトンボよりは、その位を上位に置いて、子どもながらもある種の敬意を払っていたような記憶があります。
 
 7月初め、このトンボの写真を撮ることを思いついて、自宅近くの「百合が原公園」に出かけました。
 このトンボを良く目にするのは、水辺があり、その近くには木立があって、草叢もある。
そんな条件の中にこの優雅なトンボは暮らしています。
 百合が原公園には、この条件を総て備えた場所があって、そこを撮影ポイントと決めました。
 ところが、絶対、確実と思い込んでいたこのポイントには、この日は一匹の「あねさんトンボ」も現れず、帰り際に立ち寄った日本庭園の滝をあしらった池に何匹かのイトトンボを見つけました。
 黒ずんだ細い体は黒い背景に溶け込んで、ほとんど見えません。ただ、胴体から尻尾にかけてあるブルーの美しい斑点が正に宝石の光のようで、昼間にホタルを見るようでした。
 写真を撮り始めるまでは、イトトンボなど、改めて見入ることもなかったのですが、このトンボを「あねさんトンボ」と呼び「神様トンボ」と崇める気持ちが良く分かりました。

 このイトトンボの仲間では、絶滅を危惧されている種類もいくつかあって、この百合が原公園でも見かけた「アジアイトトンボ」もその絶滅危惧種だそうです。
 どのように環境を整え、どのような「保護策」が必要なものか?私のような素人には皆目見当も付きませんが、現在ある「命」を「絶滅」などと言う現象で消し去ってはならないと強く思います。


   <写真をクリックすると大きくなります>
a0147975_14364241.jpg

エゾアオイトトンボ、北海道内なら一番多く見られる種類と思います。
体にあるブルーの斑点がきれいで、薄暗い草叢などでは、宝石が飛んでいるように見えます。
a0147975_1441183.jpg

図鑑で調べたところでは、アジアイトトンボと思われます。
アジアイトトンボは稀少種で、絶滅が危惧されている種だそうです。
a0147975_14445894.jpg

オオアオイトトンボ、イトトンボの中では大柄な方かと思います。
雄と雌では体の色が少し違うようで、この黄色がかった体色は雌だったかしら? 
[PR]
# by ebataonnzi | 2010-08-16 14:50
「観光農業」 その先は?
 所属している写真クラブの撮影ツアーで、旭川市、滝川市を回って、まる一日写真撮影を楽しみました。
 行く先々で見た風景は、今に始まったことではありませんが、日本の農業も国際的な「競争原理」の下で、耕作面積の拡大、生産の合理化、多品種生産と私たちの幼い時代の記憶とは異質の農業が展開されているようでした。
 訪れた滝川市では、すでに田植えも終わり、これからは畑作の作付け作業が最盛期を迎えようとする時季に見えましたが、近年滝川市観光の目玉として人気上昇中の、日本一を誇る約180ヘクタールの菜の花畑の花が満開期を迎えているというので、その撮影にトライすることになりました。
 なるほど!、「日本一」と言って憚らないだけのことはありました。
 それこそ、見渡す限りの菜の花畑で、視線の先は「黄色い大河」の水面が目の前にあるようであり、黄色いアムール川か揚子江を見ているようでもありました。
 この菜の花、もちろん収穫期が来れば大型コンバインで刈り取りが行われ、そのタネは名前の通り「菜種油」の原料として、農家の経済に寄与するのだと言う話を観光客を案内してきた地元のタクシー運転手に聞きました。
 農産物の生産現場が、そのまま観光資源になる。生産者にとっても、地域経済にとっても願ったり叶ったりに違いありませんが、しかし、それほど話は上手く出来上がっているものなのでしょか?。
 考えてみると、元々は農作物だった花々が、今は観光用として栽培されている植物は少なくありませんし、食糧生産のための畑や田んぼに観光用の花々が植え付けられる例も、既に常態化しています。
 貧乏農家の次男坊として育った僕などは、広い立派な田んぼに如何にきれいな花が咲き乱れ、小高い丘が虹色の花々で埋め尽くされても、「実」を結ばない花に全幅の信頼と賞賛を贈る気になれない複雑な気持ちがどこかにあります。
 決して農業を「見世物」にしているわけではないのでしょうけれど…

    
   <写真をクリックすると大きくして見ることが出来ます> 
 
a0147975_1520342.jpg

 大河の流れを見るような菜の花の海

a0147975_15205433.jpg

 取り残され、朽ち果てる「納屋」原型を止めるのは何時まで?

a0147975_15214443.jpg

 破れた窓ガラスから覗いてみたら… 
[PR]
# by ebataonnzi | 2010-06-14 15:23
春の蛍
 おそらく日本における稲作の北限であろう道北の都市の郊外で中規模の農家を営む友人がいます。
 今年は春の訪れが遅くて、何時までたっても雪が残っていて、田起こしなど水稲作付けのための基礎的作業が出来なくてイライラを募らせているようでした。
 事実、札幌周辺でも水稲作付けの作業が遅れていて、見ているだけで心が和む代掻き(しろかき)などの作業が例年よりも遅れたようでした。
 学校を卒業して社会に出るまで、越後の極め付きの田舎で育った私にとっては、農村の作業風景 は、70年に及ぶ人生の「原風景」で、写真を撮り始めてからは、毎年機会がある毎に札幌近郊の農作業風景にカメラを向けています。
 先日、空知地方の米どころ新篠津で青空の下で行われていた「代掻き」の現場に行き会い、写真を撮らせてもらいました。
 早速、彼の道北の友人に「新篠津ではこんな作業をしていました」との報告も兼ねてメールに写真を添付して送りました。
 後ほど返信があって、代掻きには少し間があるけれども、田起こしの作業が真っ最中で、夜な夜な「春の蛍」を飛ばせている。そんな文面で返信がありました。
 「春の蛍」それは、農家1戸当たりの耕作面積の拡大で同一作業が集中するこの時季は昼間だけの仕事では追いつかず、夜になっても仕事を続行することになって、トラクターの前後に煌々と灯りをつけて田起こしなどが行われるのだそうです。
 夜の闇が立ち込めた田んぼの中をトラクターの灯りだけが行き来する情景が、あたかも蛍が飛び交う情景と似ているところから「春の蛍」と名づけられたのだそうです。
 最近、東京都心のレストランでビルの屋上や壁面を利用して野菜の水耕栽培が行われ、その野菜を使用したサラダがレストランのメニューに載って評判をとっているそうです。
 虫もいないから農薬もいらない、新鮮で美味しいが評判を呼んでいる基なのだそうですが、元来農業はお天道様と共にあるべし、とする考えが当たり前と思って育った者には、何とも複雑な思いでこの話を聞きました。
 生産技術の発展が自然の恵みを凌駕し、農産物の生産が工場で生産される製品と同様に進行してゆく、その行きつく先を考えると、人間の暮らしは、いったいどこに行くのだろうと思ってしまいます。
 狂牛病、鳥インフルエンザ、そして今回の牛や豚の「口蹄疫」の発生など、人間の側からだけで見た生産論理に対して、人間を除く総ての生き物たちの「NO!」が突きつけられたのだ、などと考えるのは、イカレ老人の戯言なのでしょうか?。
 今日も見てきた田植えの風景は、明日に向う明るさと穏やかさに満ちているように見えました。
 しかし、この背後に何が忍び寄っているのでしょうか?
                                    
<写真をクリックすると大きくして見ることが出来ます>

a0147975_2156199.jpg

a0147975_21572244.jpg

a0147975_2158522.jpg

[PR]
# by ebataonnzi | 2010-05-21 21:58
写真に 魔法を!
 デジタルカメラは大変便利な機械で、撮影データは、その都度メモしておかなくても、きちんと記録されているという「優れもの」です。
 この頃では、つい1,2日前のことでも「あれっ、あれは何日だったけっ?」という時でも画像を見ればすぐに分ります。
 朝から撮影に出かけたのは4日(5月4日)でした。
 朝から絶好のカメラ日和で、隣町の大学の「薬草園」を見て回り、そこを出て周辺一帯に広がる田園地帯でいよいよ本格化ししつつある農作業の風景が撮りたくて農道を、それこそ縦横に走り回りました。
 今年は雪融けが遅い上に気温が上がらず、そのせいでしょうか?例年なら今が盛りのはずの「田起こし」の作業は、汗ばむほどの好天気にも関わらず、動いているトラクターを確認できたのは1つか2つでした。
 写真を撮り始めてこの方、何時も感じていることですが、情景に対する思い入れがどれほど強かろうと深かろうと、写真に撮るには、現場にいなければ話にも絵にもならないというのが写真の世界で、寒さ、暑さ、雨風を耐えてファインダーを覗き続けなければなりません。
 
 古くから慣れ親しまれてきた「波浮の港」という名曲があります。
 作詞は野口雨情、作曲は中山晋平による傑作ですが、この曲ご存知の通り、離れ島のわびしさ、そこを訪れた旅人との別れを惜しむ島の娘の素朴さが多くの人々の共感をよんで大ヒットとなりました。
 ところが、この歌詞が現地の情景を忠実に描写したものではないとする指摘があって、事柄が単純明快なものであっただけに、動かし難い事実として認めざるを得ないことになりました。
 波浮の港は、東は海、西は山で夕日は全く見えない上に「磯の鵜の鳥りゃ 日暮れにゃ帰る」と歌われた鵜の鳥は、大島にはいない鳥なのだそうです。
 第一、作詞者の野口雨情は一度も大島を訪れたことはなかったのだそうです。
 
 天才と称される写真家、荒木径惟氏の言葉だそうですが、「カメラマンは現実をそのまま切り取ってくる人間、写真家は現実を虚構化し、現実とは違った別のものに置き換えて表現する人間」なのだそうです。
 詩人野口雨情は、見えない夕日と生息していない鵜の鳥で大島を表現し、写真家荒木径惟氏は厳然として存在する物体にどんな魔法をかけて別物を生み出すのでしょうか?。
 カメラマンでもなければ、ましてや写真家などではない私などは、何を写しだすことができるのでしょうか。

     <写真をクリックすると大きくして見ることができます>
a0147975_1765984.jpg

a0147975_1772932.jpg

a0147975_1775853.jpg



[PR]
# by ebataonnzi | 2010-05-07 17:09