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巡礼の旅
 少し古い数字で恐縮ですが(平成14年調べ)全国の高等学校数4千629校、大学758校で、これらの学校から送り出される卒業生は、平成18年の数字で約4百万人だそうです。
 この内、高校卒は約百万人ですが、その80%強は進学で、直接社会に出て行くのは、20%で20万人と少しと言ったところです。
 このように毎年毎年、何らかの形で社会に向って旅立って行く人々の数は、ざっと320万人程、と言うのが大雑把な計算です。
 長期にわたる経済不況が続く日本の現況下では、これから新しく社会に参入する、いわゆる「新学卒者」には厳しい旅立ちの人もいたことでしょう。
 すでに50年もそれ以上も昔の話になりましたが、この時季になると、やっぱり自らのその時代を想いだしたりします。
 私などが、田舎の中学を卒業して社会に出た昭和30年代初頭は、日本の経済がその後大きく発展する、いわゆる高度経済成長期の入り口で、今でも語り草になっている「集団就職」が本格化するほんの少し前の時代です。
 たぶん3月末が大部分だったと思いますが、関東や関西に就職が決まった者たちが、田舎の暗くて小さな駅から夜行列車に揺られ、任地に向って、文字通り「旅立」ったのでした。
 今の時代とは違い、いったん心を決めて家を出て行ったら、その志にある程度の目途が立つまで「帰らない」それが普通の常識のような時代でした。
 学校を卒業し、職を得て社会に出て行くことが「旅立ち」であるとすれば、正にこの時代こそが、いや、この時代頃までが、本当の意味で「旅立ち」だったような気がします。
 「旅」の本来の形は「巡礼」なのだそうですが、考えて見れば、新しく入社した職場には、必ず上司や先輩がいて、仕事はもちろんのこと、社会のいろいろについて教えを受け、また、就職後何年か経って、少しづつ地位が上がっても、その周囲には、これまた必ず名人上手がいて、技を盗んだり、教えを請うのは日常のようなもので、その経験や教えに従って次の日を迎えてゆく、それは巡礼の旅そのもののようです。
 時代が移り、その仕組みに多少の変化があっても、私たちの人生は「巡礼」を続ける旅人なのでしょう。
 そして、今年も学卒者を中心にした約300万人が、新たに「巡礼」の旅に加わったと言うことになるのでしょう。

      <写真をクリックすると大きくして見ることができます>
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 自分の位置を確かめて見る。そんな大げさなことではなしに、高い場所から全体を見渡してみたくなる時があります。
 そんな訳で、先日JRタワーの展望室に上がってみました。
 街並みは雨雲が垂れ込めた下にあり、視界は極めて不良。鉄道線路だけが生き物のように視界の彼方まで続いていました。
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 この列車も大勢の旅行者と旅人を乗せて札幌駅に入りました。旅行が終わった人と旅人を乗せて…
 やっぱり、「駅」は何時もドラマチックな場所です。
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JRタワー38階の展望室から見下ろす札幌の街は、深い渓谷の底を見下ろすようですが、そこは涸れ川を見る想いがありました。 
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by ebataonnzi | 2010-03-25 14:07
昔の光、今何処
 「三ちゃん農業」などと言う言葉があったことをご存知でしょうか?
 1970年代、日本がまだ右肩上がりの経済成長を続けていた時代に、東北や北海道の農家の当主たちが秋の収穫作業が終わった冬場に季節雇用の労働者として、主に関東や関西の建設現場に働きに出かけました。
 世は経済成長の真っ只中、今では想像がつかないほどの労働者不足、雇用期間もだんだんと長くなり、低い農業所得よりは建設現場などで働く収入の方がはるかに実入りが良い現実もあって、季節雇用から通年雇用に変って行く人々も少なくありませんでした。
 父ちゃんは遠い都会の建設現場で働き、本来生業であるべき農業は、爺ちゃん、婆ちゃん、母ちゃんの「三ちゃん」でやる、いわゆる「三ちゃん農業」の出来上がりでした。
 しかし、農家の暮らしをトータルで見れば、家計は改善されても、子どもの教育を初め家庭生活全体には少なかぬ歪も生み出しました。
 1974年の警察白書は、「蒸発」と言われる動機、原因とも不明な家出人が9000人にも上っていることを明らかにしました。
 これらの現状を受けて、テレビ局も競うように人探しの番組を放映し、「お父さん、帰ってきて!」と呼びかける子どもの姿が茶の間の涙をさそうなどの現象を生み出しました。
 写真を撮り始めて、まだわずかな期間でしかありませんが、水田地帯でも酪農地帯でも至るところで廃屋があり、朽ちかけたサイロなどを見かけてシャッターを押しています。
 雪に埋もれた廃屋や崩れ落ちたサイロのすべてが「人間蒸発」など負の原因だけとは思いませんが、そこからは決してプラスのイメージが浮かばないのは、私の思い込みのせいばかりではないと思います。
 屋根が剥がれ、窓ガラスが破れた廃屋、すでにその屋根さえ無いサイロにカメラを向けていると、かつての暮らしのイメージが脳裏をかすめます。
 雨月物語「浅茅が宿」の宮木のような奥方が今でも主の帰りを待って、ここに生き続けているような気持ちになるときがあります。

  <写真をクリックすると大きくして見ることが出来ます>
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 この廃屋は、手入れの行き届いた畑の真ん中にあり、時季が来れば、辺りは青々とした麦畑か大豆の畑に変ります。
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 人が住まなくなってから何年経ったらこのような姿になるものなのでしょう?そんなに遠くない過去に、この屋根の下で愛を育み、夢を結んだお方もいたはずなのですが…
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 大きな作業棟を従えたブロック建築の母屋は、瀟洒な窓枠、庭の鬱蒼たる植え込みなどから、ここの住人の人柄が偲ばれるようです。
 これを建てたお方は、健在であられるか?否か?

※ 上に掲載した3枚の写真は、いずれもイメージとしてのものであり、本文とは一切関係がありません。 
 
 
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by ebataonnzi | 2010-03-11 21:43
古木、大木の「主」たち

 日本は、古来多神教の国で、その神様は「八百万」(やおよろず)もあって、山や川はもちろんのこと、囲炉裏にも井戸にも、さては「厠の神」などもおわしまして、それこそ足の踏み場も無い有様なのです。
 なかでも、古代から樹木に対する信仰が根強くて、古木、大木には必ず神様が宿り、崇拝の対象にされてきていますが、この神様と不可分一体をなすものに、その木を棲家とする妖怪の存在があります。
 日本の至る所で開発が進み神様や妖怪が宿る古木、大木が少なくなったとは言え、有名、無名を含めれば、その数は夥しい数に上るはずで、また、その樹に宿る神様や妖怪の数も
古木、大木の数に負けず劣らずのはずです。
 野にも山にも、家の隅々まで神様の存在があって、足の踏み場も無いと書きましたが、森の中もまた、見上げる至るところ神あり妖怪ありで、無作法や油断は厳禁、これが、八百万の神々からの賜りものなのでしょう。
 
 これは、奄美諸島の妖怪の話です。
 この妖怪の名を「ケンムン」と言い、その棲家は大きなガジュマルの木が相場で、姿形は5,6歳の子ども、顔は犬か猫に似て、体は猿なのだそうです。
 悪戯好きで、道案内のふりをして、人を道に迷わせたり、棲家であるガジュマルの木の下を通るものが、うっかり挨拶を忘れたりすると、特にご婦人の場合は、両の足の間をすっと通り抜け、通り抜けざまに内股をさっとひとなでして通るのだそうです。
 大きなガジュマルの木の下を通るときは必ず着物のすそをしっかりと握って通らなければならないのだそうです。
 
 また、その風光明媚で知られる佐渡ヶ島での話です。
 ここに清水寺(せいすいじ)と言う寺があって、この境内に一本の雄のイチョウの木がありました。秋には金色に輝く葉を散らせますが、その秋は一枚だけ散らない葉があって、それがある時、遠くに飛んでいってしまいました。
 その頃、寺の近くに住む農家の娘のところに気品のある若者が現れて、小判を一枚置いて立ち去りました。
 これが毎年続き不思議に思った娘の父親が小判を寺の和尚に見せたところ、和尚が小判を火であぶって経を読むと、小判はたちまちイチョウの葉に変ったそうです。
 気品ある若者はイチョウの木の妖精であり、和尚がイチョウの木に注連縄をまわし、供養したところ、以後は現れなくなったと言う話です。

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 札幌市北区篠路の龍雲寺にある銀杏の大木です。
 銀杏の木は昔から不吉とされ、特に家屋敷には植えないものとされてきました。
 樹齢百年を超えるとされるこの木は、今は裸木ですが、こんもりと葉が茂った時は、妖怪がいても不思議の無い雰囲気を持っています。
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 石狩市生振の石狩農協脇に聳えるこの木を知ってから何十年もたちますが、この木が北海道記念保護樹木に指定されていることは、今まで知りませんでした。
 人間の心臓の冠動脈のような枝の張り具合が生々しくて、ここにもまた神様でも妖怪でもが棲んでも不思議 は無いような気にさせられます。
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道道508号線を札幌から石狩に向けて進むと、石狩に入って間もなくのところにこの木がありました。
 特別に古木でもなければ、大木でもありませんが、その立ち姿が気に入ってシャッターを押しました。
 後何十年かしたら、きっと美人の妖怪が棲みつきそうな木です。
 
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by ebataonnzi | 2010-03-07 01:16
「椿の花」雑感
 札幌市内北区の百合が原公園の温室で「椿展」が開催中と聞いて見に行ってきました。
 椿は日本が原産で、その花の美しさ、利用価値の高さなどから万葉の昔から、その花は歌に詠まれ、その実から採れる油は整髪料や高級食材として珍重されて、上は貴族から下は庶民に至るまで、人々の暮らしと共にあった馴染みの深い花木でした。
 しかし、この椿の分布は北限が青森県の夏泊半島までで、私たち北海道の庶民にとっては比較的馴染みの薄い花木でもあって、お目にかかるほとんどは室内で鉢植えにされたものが主流です。
 椿の花は事ほど左様に古い歴史を持った花であり、この花にまつわる故事来歴に事欠きませんが、私などは、残念なことに北海道が椿の自生範囲からはずれていること、風流な暮らしなどとは縁遠い生き方をしてきたせいでしょうか?その花の美しさを読んだ万葉歌人たちの歌も、椿の花が持つ妖しい物語も、そのほとんどを知りません。
 このブログの文章を書くに当たって、付け焼刃もその極みですが、ネットで小当たりしたところでは、椿の花はガクの部分が全部つながっているところから散るときは、一度に
「バサッ」と散る様が首が落ちることを連想させて武士には忌み嫌われたこと、また、「落ちる」その様が「落馬」と結びついて、競走馬の馬名には金輪際使用されなかったこと、などをしりました。
 辛うじて、朴念仁の私の頭に浮かんだのは、山本周五郎の原作で映画化された「五弁の椿」に登場する殺人予告としての「花」、そして、往年の名作映画「椿三十郎」における襲撃の合図として使われた椿の「花」程度のものでした。
 百合が原公園の温室には、土曜日と言うこともあったのでしょう、年配のご婦人が多く詰めかけ、豪華な花に感嘆の声がしきりでしたが、このご婦人たちの胸のうちをかすめて通った想いはどんなものであったのでしょう。
 
     <写真をクリックすると大きくして見ることが出来ます>
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北海道の場合、椿の花はほとんど鉢植えで、大きく成長した木に沢山の花を付けた様子を見ることがありません。
 満開の咲き誇った花には圧倒される感があります。
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 花の散り際が武士達に忌み嫌われたそうですが、それ故に艶やかさを水に浮かべて名残を止める風情は、なかなかのものです。
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 白い一重咲きに「侘び助」と言う品種があって、「茶花」として今も愛好されているそうです。
 きっと、千利休などにも愛好されたのでしょう。利休が秀吉の勘気に触れ、詰め腹を切らされたのも、この季節ではなかったでしょうか?
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 いろいろな品種が沢山あった中で、一株だけ変った色合いの花がありました。
 黒味がかった深い色の花で、謎を秘めたような風情で目をひきました。
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by ebataonnzi | 2010-03-01 11:55