遠い日の白い花
 札幌市のお隣の町長沼町に「地対空ミサイル・ナイキJ」という自衛隊のミサイル基地があることをご存知でしょうか?
 長沼町の北東側の小高い山「馬追山」の上にあるこの基地は、普段はひっそりと門扉を閉ざした静かな建物があるだけのように見えます。
 長沼町にミサイル基地建設の話が持ち上がったのは1968年6月(昭和43年6月)時の防衛庁(現防衛省)が第三次防衛力整備計画の一環として長沼町に航空自衛隊第三高射群施設(地対空ミサイル・ナイキJ基地)を建設するため長沼町所在の馬追山保安林の一部について保安林解除の申請を行ったことから始まりました。
 長沼町は今も変わらない豊かな田園風景が広がる農村地帯ですが、ここに降って湧いたような「反基地闘争」の戦場が展開されたのでした。
 時代は、1964年の東京オリンピックを経て、この長沼反基地闘争が始まった1968年は、経済でGNP世界第2位となり、「東洋の奇跡」ともてはやされる一方、政治的には沖縄返還要求の盛り上がり、東大安田講堂封鎖などに象徴される学生運動の激化など、好調な経済情勢を背景に労働運動、平和闘争、学生運動と熱い「うねり」が全国に展開されたのでした。
 長沼ナイキ基地闘争は、北海道労働運動の総本山と称された通称「全道労協」の元に「基地設置反対共闘会議」が置かれて、以後の闘いを推進することになるのですが、闘いが本格化した時期には、毎週のように集会とデモが繰り広げられ、折からの学生運動の流れをくむ学生部隊も合流して、闘いが毎回過激化して行くような時期でもありました。
 普段は平和な街のメーンストリートに火炎瓶が飛び交ったのもこの時期です。
 私たち全道労協部隊は、学生部隊とは一線を画するようなところがあって、火炎瓶闘争などは容認しませんでしたが、それでもデモ行進が行われると青年部部隊から毎回2人、3人の逮捕者が出ました。
 長沼での逮捕者は、隣町の栗山署に留置されるのが当時の北海道警察の仕来りで、栗山署に抗議を行い、札幌への帰途に就くのでしたが、熱いデモの渦中の興奮が冷め、静かな田園風景を車窓から眺めていると、妙な悲しさと虚しさに襲われるのでした。
 そんな時に見た農家の庭先で煙るように咲いた「こでまり」の白い花がいつまでも脳裏に残りました。
 時として、今になっても、豊かな田園風景の中を車で走る時、白く煙ったように咲く「こでまり」の花を無意識に探しているような時があります。
 


 写真を撮り始めたここ数年まで、何処にでもある野の花に目を向けることは、ほとんどありませんでした。
 それが、写真を撮り始めて、ふとしたことから路傍の花にカメラを向けるようになって、気を付けて見てみると、びっくりするほどきれいな花の多いことに感心しました。
 丈夫で、どこででも花を咲かせて大変重宝な花たちですが、あえて言えば、いずれも「小さ目」が多いことが難点と言えば難点なのでしょう。
 しかし、この頃では、小ささも、この花達の良さでもあるような気がします。

<写真をクリックすると大きくなります>
a0147975_23175942.jpg

                              エンゴサク
a0147975_23202778.jpg

                           キクザキ イチゲ
a0147975_23215913.jpg

                           蝦夷のリュウキンカ
[PR]
by ebataonnzi | 2011-05-03 23:27