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遠い灯り
 最近では、遠い距離を汽車や車で移動することがなくなって、そんな風景は見ることもありませんが、例えば移動の途中で日が暮れて、車窓から見る遠くの景色のなかにポツンと一軒だけある家屋から微かな灯りがもれているのを見ることがあります。
 夏ならば青白い光から「あゝ、テレビを見ているのだな!」と思ったりしますが、冬なら雪原の真っ只中にたった一軒、ポツンと灯る灯りは文句なしに郷愁を誘います。
 私の生家は「貧乏人の子沢山」そのもので、私たち小さな子ども達は、祖母を真ん中に左右に二人づつ計五人が昆布巻きを並べたような形で一部屋で眠りました。
 みんなで布団にもぐり込み、電気を消すとババちゃんの昔語りが始まります。
 「なに用事があったもんだやら、会津あたりから戻って来る途中だったこっさ(ことだ)、
途中まできたども、日が暮れでしまって、『どうしょば…』と思いながら歩いていたら、遠くに小さな灯りが見えだど」
 みんなは何回も何回も聴いた話なので、ババちゃんが語る昔々の起承転結は総てを知っているのですが、やっぱりその話を最後まで聴かないと眠れなかったものでした。
 窓からもれる灯りを頼りに訪ねた家にたどり着き、一夜の宿を頼みます。出てきた女が言うことには「一人暮らしで何もないが、一夜の宿ならどうぞ寝てゆきなされ」と赤々と火が燃えた囲炉裏の側に招きよせました。
 囲炉裏に吊るされた自在鉤には大きな鍋がかかっていて、蓋のすき間から湯気が立ち上っています。
 女は、囲炉裏に落ち着く旅人の様子を見てから、「鍋の蓋を取ってはなりません!」と言い残して、次の間に消えました。
 旅人は手持ち無沙汰にして、しばらく囲炉裏の火を見て過ごしますが、女は戻りません。鍋からは依然として暖かな湯気が立ち上っています。
 「何を煮ているのだろう?」旅人は、とうとう我慢し切れずに鍋の蓋を取りました。
 中には、首にまとわりつく黒い髪、大きく見開かれた二つの目がむき出しの生首でした。
 これを見た旅人は完全に腰が抜けてしまい、その場から動けないでおりましたが、そこに夜叉の顔をした女が現れて、一言「見たな!」と叫びます。
 その後、旅人は逃げ帰ったものか?、その場で女に食べられてしまったものか?今になっては記憶が定かでありません。
 たぶん、結論は、ババちゃんのその日、その日の気分によって違っていて、無事逃げ帰ってくることもあれば、食べられてしまった日もあって、何時も結果が一緒ではなかような気がします。
 流石に今では、遠い灯りと怪談がイコールではありませんが、しかし、灯りには何かしら様々な物語が込められています。
 良い「灯」の物語を写真に撮りたいと思いますが、灯りを灯して旅人を待っている妖怪女もいませんし、出歩くことが無くなったこの頃では、遠い一軒家の灯りを見ることもありません


<写真をクリックすると大きくして見ることが出来ます>
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 真昼の陽射しのなかでも、夕暮れの雪原が金色に染まる時刻でも雪原の真ん中に立って、物音一つしない「静寂」を聴きます。
 昨日の夜更けに激しく窓をたたいた吹雪の音が聞こえるときもあり、淡い白樺の緑が溶け出した風のなかでトラクターのエンジン音を聴くこともあります。
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 自分が何年間も暮らし、その土地柄については良く知っていると思っているところでも、季節や天候によって、全く別な風景に見えることがあります。
 さる夕暮れ、ほんの気まぐれで一本手前の道を曲がったところにこの風景がありました。
 突然外国の風景に出会ったようで、この道を行ったら何処に出るのか?帰るべき道の方向なのか?あるいは、全く反対の方角に向うのか?ふっと心配になったりします。
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 夜更けに自室のカーテンを細めに引いて、目の前に立ちはだかるマンションの窓明かりを見ることがあります。
 深夜の午前1時の時もあれば、午前3時に近い時間の時もあります。
 何時も決まった窓に灯りがあるわけではありませんが、必ず何処かに一つや二つは灯りのついた窓があります。
 この灯りは、この部屋の何を照らし、どんな生活を作り出しているものか?ふっと、そんなことを思うことがあります。
 
 

 
 
 

by ebataonnzi | 2011-01-31 11:44